謝るなら、いつでもおいで
2004年、小6の女の子がカッターで同級生を殺した。
通称「佐世保小6女児同級生殺害事件」
本書は被害者の父親の部下(新聞記者)による事件のルポ。
この事件についてはかなり騒がれていたから大まかな内容は知っていたものの、読み進めていくうちに怖くなってしまった。
何が怖いって、神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗の事件)とか佐世保女子高生殺害事件みたいに他の未成年の猟奇的犯罪とは違って、「すべて普通」だから怖い。
ものすごく深刻なトラブルがあったわけでもなく、加害者少女がサイコパスだったわけでもなく、加害者が特異な家庭環境にあったわけでもなく…
被害者と加害者の間にトラブルはあったものの、それくらいの時期にはそんなこともあるだろうな…という程度。
加害者の少女がちょっと中二病拗らせた感はあるけど、これもまあこの時期にこういう子もいるかな…っていう程度に感じる。発達障害だったと言うけれども、「軽度」というのはどこにでもいるレベルだ。
加害者家庭で虐待があったわけでも、厳しすぎる躾があったわけでもない。共働き家庭ならこんなもんかな…ってレベル。
どの要素を取ったってありふれたレベル。
だから怖い。
これといった原因が謎に包まれたままで、加害者側の家族にしろ、被害者側の家族にしろ、学校にしろ、大して有用な防ぎ方が思いつかない。
「なぜ」が突き詰められない、事件の核心が未だにわからず、被害者家族も加害者家族も苦悩する。
加害者少女は謝罪をしていないという。
本書の描写からも罪の意識が感じられず…これが全く知らない子や大人だったら躊躇なく憎めただろうに、加害者少女は心身ともに幼すぎ、「なぜ」もわからず、被害者少女は戻らず、気持ちの行き場がない。
「彼女を憎いとは一度も思わなかった、怒りをぶつけるべき相手が違う気がした」という被害者の兄の言葉。
加害者少女の謝罪と社会復帰が、おそらく被害者・加害家族を前に進ませる唯一の希望なのではないかと思う。
贖罪・更生の意味について考えさせられる一冊。